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個人のケンカイ。シュカン。

#4📚『1984』

 

NHK新ドラマ「フェイクニュース

今、世界中で話題のフェイクニュースを切り口に、「真実と嘘」、「人は何を信じるのか」という普遍的なテーマを、エンターテインメント性豊かに描くという。

真実が価値を持たなくなり、規範を失ってしまった現代社会に警鐘を鳴らす社会派エンターテイメントドラマだそうだ。

このドラマの宣伝記事に明記されていたメッセージ、

 

嘘が事実にされ、事実が嘘にされていく”

 

このメッセージは

私に『1984』を思い出させた。

 

————

 

時は、“ビッグ・ブラザー”率いる党が支配する

全体主義的な独裁政権時代。

 

主人公ウィンストンは、

真理省記録局に勤務する党員で、

歴史の改竄が仕事だった。

彼は以前から完璧な屈従を強いる党体制に

不信感と不満を抱いていた。

 

印象的な彼の言葉がある。

 

党(独裁政権)の世界観の押し付けは

それが理解できない人々の場合に最も成功している。なぜなら、彼ら(理解できない人)は自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているか十分に理解せず、また、現実になにが起こっているのか気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ

 

目、指、唇、手足の動き

表情・言動・行動、

寝ている時や家族の前でさえ

反政府的な行動だと疑われたら即座に逮捕される社会。

ウィンストンの同僚は

就寝中に寝言で政治的な発言をしたことで逮捕された。

そして

ウィンストンも又愛する恋人とともに

党に捕まってしまう。

 

逮捕された者は想像したくもない

激しい拷問や虐待、強姦、薬漬け、神経反応を記録する精密機械、不眠と隔離と質問攻めを受け、心の衷心から愛党心を抱くまで外的な洗脳が続き、‘蒸発’(抹消)される。

 

ウィンストンが受けていた

電気ショックによる拷問シーンは

あまりにも生々しく痛々しく描写されており

かなりショックで本を閉じそうになった。

 

ウィンストンは今まで、

 

目指すことは生き延びることではなく、人間らしさを失わないこと」

「(党は)自分自身の反党的感情を変えることはできない。自分自身でさえ、たとえ望んだとしても心に宿る感情を変えられるものではない、心の内奥だけは攻め落とされるものではない」

と確信していた。

 

しかし、最終的に党による

心の改心と心の占領、によって、

ウィンストンは変わってしまったのだ。

 

ストーリーの前半と本末で

主人公の心情とストーリーが

180度変化していることがとても印象的な作品だった。

 

_____自由とは

二足す二が四であると言える自由である_____

 

ウィンストンによるこの言葉は忘れられない。

 

情報IT社会となり、国際社会が保守的な傾向にある現代。

権力者が、

二足す二が五といえば、六といえば、

真実は五にも六にもなる可能性がある社会になってはいないか。

改竄やフェイクが連日放送されトレンド入りし、

何が嘘で何が事実か分からなくなってる社会になってないか。

自分の今と未来に繋がっている政治に
無関心や諦念を抱いてはいないか。

 

事実が簡単に捻じ曲げられる社会の怖さ

そして

そんな現実に関心を抱かず

考えることをやめた結果

党に利用されている市民とその空気感を伴う集団性の怖さを感じた

 

ある人の正は、ある人の悪になる。

特に集団となると悪が正を上回ることがある。

人殺しや虐殺が正になる。

今まで友人や家族だった人物が敵になる。

ナチスによるユダヤ人大量虐殺はまさしくそれだ。

 

私は、

一人一人が人間らしく生きることが正だと

信じている。

だからこそ

ウィンストンの正を最後まで見届けたかった。

 

最後まで

胸がハラハラした胸糞悪い本だったが、

 

現在をコントロールするものは過去をコントロールする

 

本文中で何度か出てきたこのメッセージから、

何が自由、何が正義、なのか

深く考えさせられた。

そして

真実は、“事実”のみで判断してはいけないこと、

政治や権力にしっかり向き合い、

自分自身で“考えて”いくこと

その重要性を心から感じたのだった。

 

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#3📚『メディアの仕組み』

「空気」

「どうせ変わらない」

この「空気」が充満している。

 

高齢社会において、
若者のモチベーションが
確実に生まれにくい社会構造なら
尚のこと、である。

 

この「空気」は
諦念と無関心の表れだ。

 

多くの人、
とりわけ、
家庭や経済的な事情により、
夢を諦めた人が、
何か少しでも希望を持てるような
キッカケを作る事ができないか

 

そして、
それが世の中を良くしていきたいという
意識と行動につながり、
社会に好循環といううねりを生む出す事はできないか

 

どうしたらいいのか。
自問自答する日々。

 

そんな中、
現代日本のジャーナリズムを代表する
池上彰氏•津田大介氏が
このぐるぐるとした複雑で、答えの見えない心中を端的に代弁し、
新たな提言を与えてくれたような
そんな一冊であった。

 

今回は、
本書の所感を、
二つの観点から述べたい。

 

一つめに、
大学における研究のテーマ
メディアリテラシー」に関して。
二点目が、
「空気」に関してである。

 

まず、メディアリテラシーについて。

 

池上氏は、

さまざまな情報ととにかく付き合ってみる
そして、
自分の考えとはまったく違う考えと接する
ことが大事だと述べている。

 

当たり前のように見えて、
実は意外と実践が難しい。

 

例えば、
原発事故」に関して、
放射能はとても危険だ」と思ってる人がネットで放射能について調べる。そうするといくらでも「放射能は危険だ」という話が出てくる。そこでつい、「やはり放射能はとても危険なんだ。自分の感覚は正しかった」と思って満足し、それ以上調べるのをやめてしまう事がある。

ただ、
そこであえて
「いや、放射能の危険性は大したことないよ、騒ぎすぎだよ。」と考えてる人の意見も調べてみる。すると、これもまた沢山の情報が集まる。

このように、
両方の情報に接する事、
両側面の視点に触れつつ、物事を考える事
が重要だということなのだ

 

「こうすれば情報とうまく付き合える力を身につけられる」
「こうすればメディアリテラシーは向上する」
といった決め手は無く、
こんな話をしている私も模索中である。

だからこそ、

多方面から「自然に入ってくる情報」に触れ、
「へえ、そんな考えがあるんだ」と学ぶこと、

 

そうすることで、
偏った視点に留まらない
多様な視点を持つ事に繋がり、
主体性を育むことに繋がるのではないだろうか。

 

そして、「空気」

「私/僕が何かしたところで何も変わらない」
という諦念。

自分が行動した事で、
「あ、自分の行動でこの人たちがこんなに助かったんだ」
みたいな感覚を体感することが大切だと思う。

 

例えば、

募金活動。

母はコンビニに行く度に、募金する。

「本当にこのお金って現地に届いているのかな」とボヤく。苦しんでいる人々が少しでもハッピーになるための募金、だと思うし、お金の流れを透明化する方法を考えている。


オールドメディアとニューメディアが台頭する
多メディア化社会の中で
情報を受け取った人々が、
どうしたら諦念や空気感から抜け出し、

アクションを起こせるか、

その「キッカケ」を作れる人に。

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二人のジャーナリストから

自身に与えられたであろう疑問の答えを見つける為、インプットを洗練させる為のアウトプットを常日頃行なっていきたい。

 

 

#1📚『ハーバード白熱教室講義録』

政治哲学について、

マイケル・サンデル教授と

ハーバード大学の学生同士が

矛盾やジレンマが付きまとい、

ある種正解がないような、

けれども、道徳的に議論するべき、

様々な問題について

激しい議論を交わしながら、考え、模索していく講義を描いた内容であった。

(くそ長っ!)

 

“何故、わざわざ合意と答えの出ない問題について考え続けていくのか”

 

この疑念は、

哲学に興味があるのはなぜ?と自問した際によく考える。

 

 たしかに、歴史上数多くの優秀な哲学者達でさえ、合意も、答も、結果も、出せずにいる議論に対してなぜ考え、学び続けるのか、

人頭分異なる正義があるからこそ

正解なんてないのに。

 

しかし、人生において哲学は切り離せないものだと、マイケル・サンデル教授は言う。

 

同時に、

「私たちはその答えを見つける為に生きているのだ」と。

 

国や社会を動かす原動力である

私たち一人ひとりが

答えのない問題に対して問いを投げかけ、

向き合い、考えること。

向き合った末に、

出てきた真の心(核)が、

きっと、自分はどう生きたいのか、

指針を示してくれるのではないだろうか。

 

様々な事象に触れていく中で、

多くの人と語り合い、

異なる価値観と出会い、

相反する考えから学び、

尊重して、理解し合う。

 

哲学はそんな多様な価値観や思考をもたらしてくれる1つの心の教育だと思う。

#2📚『なぜ政治はわかりにくいのか』

「政治について話したところで」

 

政治への無関心について、

政府と市民両者共々に原因があるのだが、

改善を促すシステムや制度どころか

問題提起する著書や文献も少ないというのが不思議

 

本書を読了するに当たり、

課題の所在は以下の通りだと考えられる。

 

♦︎政府

・政治、社会の構造や仕組みの分かりにくさを改善するシステムや制度が無い

・常に変動する社会や政治の捉えにくさを、生産者階級に伝える発信力が弱い

→故に市民との精神的な距離の増幅

・政治的社会化(1)において、特にそれに影響を及ぼすとされる教育システムの現状維持、とりわけメディアリテラシー教育の乏しさ

・大学政策は国内外からの指摘にもかかわらず運営費交付金削除を継続

 

♦︎市民

・自身や社会、政府に対する諦念

・生活第一であり、政治に対する優先順位の低さ

 

他にも様々な要因が考えられるが、

ここでは割愛させて頂く

 

微力かもしれないが、

関心と問題意識を持って
社会に働きかける事は重要であり、
意味を持つと考えている

個人の力が試され、

必要とされている現代では特に。

 

ここでいう働きかける(行動する)とは

・友人や家族と話し合う

セミナーやイベントに参加する

・ボランティアをする

・メディアにおける発信

などであり、

時間の使い方次第で行動できる

 

ある問題がそこにあるならば、

好奇心と問題意識を持ち、

手段や方法を考え、

社会をより良くしていこうと

一歩、前進し続ける人間でありたい

 

そして、1人でも多くの若者の主体性を育む

リテラシー教育の向上を図りたい

 

いつまでも受動的な姿勢で在り続けた結果、

直接・間接的にも関わっている社会が

知らぬ間に変わっていたなんて、

取り返しのつかない事態に陥らないために

 

政治、文化、宗教、格差、、

あらゆる事柄に深く関わる

センシティブな問題だからこそ、対話と議論が大切ではないか

 

“政治が人々を変えていくのではなく、

人々が政治を変えていく”

 

吉田茂,2001,『大磯随想』編集・引用)

 

 

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※注

(1)人間が幼少年期から成人への過程で,または成人してから以後も,ある集団や社会の政治文化に接して政治についての価値,態度,行動様式などを学習し,獲得していく過程。(ブリタニカ国際大百科事典)

 

 

 

#5📚『火星に住むつもりかい?』

正義、ていう関心のあるテーマでかかれてて面白かった。
自分が白と思ってることが他人にとっては黒だったり、グレーだったり。正解がない世の中でも自分が大事にしたい価値観や信念を真っ直ぐ貫く人間模様が生々しく描かれてた。

一般的には、治安と秩序を維持し市民を守るヒーロー的な警察が、この本では、まるでサイコパスのようにサディスティックに描かれていて1984を思い出してしまった。そんな警察に、立ち向かう一般市民が、この本では正義のヒーロー。ラストはスカッとしたけれど、個人的には伊坂さんが現実社会に警鐘を鳴らしているようにも感じ取れた